エレガントであること、に強く憧れます。
ゆったりと落ち着いていて、
どこか優雅な雰囲気、
洗練された所作、
常に穏やかで、広い心を持っている…
女性としても、ひとりのひととしても憧れます。
さて、突然ですが
今日はお金の話です。
個人的な話なのですが
エレガントさ、について考えるとき
いつも小さな負い目のようなものを感じていました
わたしには「憧れのひと」のような財力はない、
だからこんな風にエレガントになるなんて、無理なんじゃないか?
と。
エレガントさ、というのが内面から滲み出るものだということは
大前提としてわかっているのですけれど
美しい女性の優雅さ、大様さ、というのは
金銭的な余裕から来るものなのではないか、という
固定観念がどうしても抜けなかったのですね。
質の良い衣服や、いつも美しく輝くヒール、
根元までキッチリ染まったヘアカラー…
そういった表面的なものばかり
追いかけていました
先日、本に書かれていたことにハッとさせられたのですが
エレガントであることや、シックであることはお金とは関係がない
と、きっぱりと、書かれていました
それはもう、きっぱりと。
その本というのが『フランス人は10着しか服を持たない2』📚
シックであること、を中心に取り上げられておりますが
この書籍の中でいう「シック」は
わたしの思う「エレガント」とほぼ同じ意味で使われています
ゆったりと落ち着いていて、
どこか優雅な雰囲気、
洗練された所作、
常に穏やかで、広い心を持っている。
わたしがハッとさせられた一文はこちら。
シックさは生き方や在り方。裕福な人が全てシックかと言われればそうではないでしょうおしゃれであることは、シックであることの一部分でしかなくおしゃれに囚われたところでシックになれるわけではありません生き方や在り方は、誰でも磨くことができるものです。
うんうん。
よくよく思い返してみますと
美しいな、エレガントだなと感じる女性たちは、ぜんぜん豪遊などしていなくて
普通の家庭の主婦だったり
懸命に働くビジネスウーマンだったり
どこにでもいそうな、ひとりの女性でした
お金がないからエレガントには生きられない、そんな風に思っていては、
いつまでたってもエレガントやシックとは無縁な生活を続けていくことしか出来ないな、
とも思えました🌹
経済力があろうとなかろうと
立ち居振る舞い、生活の作り方、
笑い方、考え方、生き方、、、
すべて変えることができるもの。
もちろん、経済力はあるに越したことはないけれど
ない、ない、と言い続けることは全くエレガントではないなあと思ったのでした。
自分の暮らしの中の「あるもの」に目を向けて
毎日を楽しもうとすることが大切なのかな、と
自分の思うエレガント
本質はどこにあるのか?じっくり考える夜です🌹