以前、こんなツイートをしたことがあったのですが
不安や、さみしさや、枯渇感を
— ai (@ai_usuakari) 2019年5月17日
埋めようとして取る行動で、満ち足りることって無くて。
自分以外の人や、モノに、欠乏を埋めてもらおうとしても、余計に苦しむ結果になってしまう
【 自分のコップは、自分で満たす。 】
いつも、忘れないでいたいこと🕊
今もなお、この想いは変わらずに持っていて。
心のコップに、いつもなみなみと水が満ちている。
そんな生き方をしたいなと。
♢
コップを満たす方法は、さまざま。
例えば…
- 人から褒められること
- 愛されること
- 求められること
- 好きなものを沢山買うこと
などなど…
一例ではありますが、これらには共通していることがあって、それは
自分のコップを満たす役割を、他人やモノに預けているということ。
(場合によっては、依存している、と言えるかもしれません。)
自分以外の人やモノに、コップを満たしてもらおうとすると、
どんなことが起きるでしょう?
自分のコップを満たす役割を、他人やモノに預けるとどうなるか。
それは…
「いつ、満たされるかわからない」
「どれくらい、満たされるかわからない」
という、不安定で、不透明な状態におちいることを意味します。
コップそのものを、自分で管理できなくなっているので
「満タンがどれくらいか?」
すら、わからなくなっていることも。
(総量がわからなければ、注ぐ量もわかりませんよね。涙)
そのために、
-
異常なほど人に尽くしてしまったり
-
我慢に我慢をかさねてしまったり
-
たいして欲しくもないものを大量に買ってしまったり
してしまうのではないかな、と思うのです。
砂漠を歩いていて、水を持っていない自分。
コップがカラカラに乾いているのに、いつ満たされるのか? どれくらい満たされるのか? わからない状態。
コップを満たしてくれるものをたくさん欲しがってしまうのも当然ですよね。
とはいえ、
コップをいつも満たしていたい!と思っても、心や体の調子、環境の影響を受けて、コップの水は増えたり減ったりしてしまうものです。
だからこそ、コップを自力で満たす方法を知っておきたいなと思っています。
例えば、
- 美味しいものを食べる
- 1人の時間をつくる
- 自然のなかでのんびりする
- 読書や映画鑑賞
- ノートを書く
- 音楽を聴く
とかとか…
あるいは、こんな満たし方が合う人もいらっしゃるのではないかしら。
- 部屋の片づけ、掃除をする
- 料理をする
- ランニングをする
- ひたすら寝る
とかとか。
どんなことで自分のコップが満ちてゆくのか、実験してみるのも楽しそうですよね。
♢
そうして、自分でコップを満たすことができれば「欠乏感」や「枯渇感」から距離をとることができるようになるんじゃないか、と思うのです。
もしコップの水が減ってしまっても、いつでも自分で満たすことができる。
「あ、今すこし水が減っているな」「じゃあこれをしよう」「今日は○○で満たしてあげよう」、というように。
わたしの、ごくごく内側に秘めた個人的なことを言えば
「人間なのだから、時にはどうしようもない人恋しさとか、さみしさに襲われる日があっても、いいんじゃないかしら」と思ったりもするのですが。🌹
不安やさみしさ、不足感、欠乏感…
こうしたものを感じたときは、自分のコップの在り処を、じっくりと考えてみるのもいいのかも。
今、自分のコップはどこにあるのか?
誰が水を注いでいるのか?
上司や、恋人や、友人、たくさんのモノ、高級品、、、
自分以外の人やモノが、あなたのコップを握っていたならすぐに手元に取り戻しましょう。
それでは、また。