魔法の宝箱がほしい
生後2ヶ月。
最近は、満面の笑みを見せてくれることも増えて、それが毎日の楽しみ🌷
こないだ、目が覚めてベビーベッドを見ると息子が目をぱっちりと開けていて、泣いてもいないので驚きつつ「おはよ〜」と話しかけたら、もうそれだけでニッッコニコで。
可愛すぎて朝からめろめろになってしまった…
ふわーっとした新生児微笑とはまた全然違う、にぱーっ!って音がしそうな笑顔が可愛い。

ただ、新生児微笑も本当に愛おしかったから、もうほとんど見られなくなってしまったのがほのかにさみしい。
空が白みはじめる明け方の授乳終わりに、ときどきフッと微笑むのを、毎回「これが最後かもしれない」と思いながらじっと見つめている。
シャッターを切るのは間に合わないから、ただ、じっと見つめている。
目に焼き付ける、とはいうけれど。
本当にほんとうに、いつでも取り出して見られるように、鮮明に、焼き付いてくれたらいいのにな。
忘れたくないな。
毎日、この微笑みを覚えていたいな。
明日も明後日も、来週も覚えているだろうけど。もっともっと先にもくっきりと思い出せるように、色濃く焼き付いてほしい。
いつかの未来でふと思い出す、とかじゃなくって、毎日思い出せる宝箱に置いておきたい。

赤ちゃんはどんどん成長していって、新しいことが日々たくさんあって、それがすごくうれしいのと同時に、
どんどん過ぎ去っていってしまうものがあることが、その最後、その終わりに、もしかしたら気付けないかもしれないことが切ない。
だからせめて、およそこの時期まで、とわかっていることに関してはできるかぎり、大切に見ておきたい。
そういう日があったということを、書き残しておきたい。

覚えていたい。
この新生児微笑にたくさん救われたことを。報われたような気持ちにさせてもらったことを。偶然撮影に成功して、テンション上がって変な声を出して喜んだことを。何回も、何十回も動画を繰り返し見たことを。
愛しさで真夜中に泣いたことを。どんなことでもしてあげよう、と心から思ったことを。
絶対にわすれないでいたい。
この文章を書きながら、やっぱりちょっと泣けてきて、眠っている息子の気配を感じたくなって真っ暗な寝室に入ったら、タイミングよく盛大なおならを聞かせてくれて笑っちゃったことも。
はーぁ、なんて可愛い!
本当に、魔法の宝箱があったらいいのにな🪄
あと2日、新生児の我が子
生後26日。
産まれてきた日のことを、本当につい数日前のように思うのに、気付けばまもなく1ヶ月が経とうとしてる。
新生児期もあとたったの2日。
夢のような、幻のような、期間だった。
まだ過ぎ去ってはいないけれど。

ひとしずくの、朝露のような時間。
この26日間(と、あと2日)に、人生の蜜のようなものがたっぷりつまってたように思う。
尊い、一瞬だけのしずく。
誰に見せるためでもなく、ただひっそりと、満ちてきらめくあさつゆみたいに。

産後のホルモンバランスの乱れだと言われればそれまでなんだけれど、ふいに涙がこぼれてくることが何度もあって。
悲しい涙ではなくて、あまりの尊さと切なさに感じ入ってしまってた。
いま目の前で眠る赤ちゃんと過ごす1日1日があまりにも尊くて、これまでわたしがルーティンのように過ごしてきた1日と同じ価値だとは到底思えなくて(ほんとうは差なんてないはずなのにね)、なぜか泣けてしまう。
新生児期が過ぎても、赤ちゃんとの日々は変わらず続いていくとわかっていても、あっという間に過ぎ去っていく出産からの28日間がさみしくてたまらない。

これからの人生で、いま自分がいるこの瞬間を宝物のように思い返しながら生きていくんだろうという確信がある。
いつか人生が終わるとき、走馬灯がながれるとしたら、ぜったいにこの日々を振り返るだろうな。
2月の半ばに出産してからというもの、時間の感覚も日付の感覚もどこか遠くへ行ってしまって、ただ、産まれたばかりの子と、あたたかな箱の中でひっそりと同じことを繰り返して過ごす日々。
(実際は泣き声などでまあまあうるさいはずなのに、なんとなく感覚的には「ひっそり」)

おむつを替えて、授乳して、子を抱いてゆらゆらと揺れて、陽が昇ったり沈んだりするのをときどき眺めていた。
同じことをひたすら繰り返しているはずなのに、子はぐんぐんと進んでいくから、気持ちが追いつかない。
産まれた日の泣き声とは、もう違う声。
かさかさだった手足は、いつの間にかふっくらしていて。
おへそも綺麗に取れたし、すこしだけ、抱っこも重くなった。
わたしたち親も、抱っこやおむつ替えすら覚束なかったのに、もう随分手慣れてきた。
沐浴の夫婦連携もとってもスムーズ。
親も子も、成長してる。嬉しい、よかった。
ちゃんとここまで生かしてあげられて少しほっとする。
まだまだこれからだけれど。
毎日幸せをありがとう。
あと2日、
大切な新生児期を、味わって過ごそう。
新たな年に、思いを馳せる
ずいぶん久しぶりの投稿になってしまいました🦢
2025年はとても印象に残る年だったなあ。
夏に入るころ、お腹の中に新しい命を授かりました。
もうすこししたら、生まれてきてくれる予定。
今はもう、無事に健康で生まれてくれることをひたすら願いながら、ちいさなものたちをゆっくりと準備する毎日。
やっとここまで来れた、という気持ちと、あっという間だなあという気持ちが半々…
いや、7対3くらいかな。笑
早めの段階でつわりの症状が出始めて、そこから想定よりも長いあいだ具合が悪く、
毎日「はやく時が経ってくれ」と思い続けて過ごした日々のことも、もし機会があれば書きたいと思う。数ヶ月前、ためしに一度書き始めてみたら、呪いみたいな文章になったので今は下書きで眠ってる😇
あの頃は時間が経つのが遅くて、長くて、先が見えなかった。
今は、あっという間に1日が過ぎていくようで、産休に入ったらあんなこともこんなこともしたい、と思っていたことが全然できないまま出産になりそうな予感がしてる!
身体の重たさやマイナートラブルもあって、ゆっくりとしか動けないことも理由の一つ。
元来、せかせか動きがちなわたしには、これくらいでちょうどいいのかもしれない。
全然やりたいことができずに、と言いつつ、
毎日ノートを書いて、サブレディアマンを焼き、ベビー服の水通しもした。
充分、じゅうぶん。

自分が母になるということに自覚を持てているのか、大丈夫なのか、わからないけれど
お腹の中で、モコモコと動く子を愛おしく思い、ただただ無事で生まれてほしいと思う。
不思議な感覚。
エコーでは今のところ一度も顔を見せてくれないけれど、
きっと夫に似ているんだろうなと勝手に想像してる。
妊娠期間を通して、自分のこともそれ以外のことも、たくさん考えたり感じたりすることが多くて、いろんな意味で、人生の大きな節目の期間なんだろうなと実感しているところ。
2026年も、たくさんの発見がある年になりますように🕊️
自分を好きになれなくてもいい、という話
今って「自分を好きになること」や「自己肯定感」がすごく重視されている世の中だなーって感じるし、わたし自身も長いこと、そういうことについて考えてきた💭
考えて考えて、色々模索してきた結果、
最近のわたしは「自分のことが好きになれなくたって別にいいんじゃない?」って思うようになってきてる。

そもそも。
なんで自分のことは「好きか嫌いか」の2択なんだろう💭
嫌い、を選ぶ。
肯定できない、を選ぶ。
そういうふうに、ジャッジしちゃう。

自分のことは自分が一番近くで見ていて、
だからこそ嫌なところがたくさん見えてしまう。他人には見えないようなことも。
こんなふうに思うなんて性格が悪いなあ…、とか。
自分の理想通りにできない自分が目につく。
いつになったら出来るんだろ…、こんなこともできないのか、とか。
無条件に好きだなんて思えない。
そう思えるなら困ってない。
とか、とか、とか
わたしは思っていたわけで。
嫌なところが見えるたび、
好きになれないところが見えるたび、
自分に良いところなんて1つもないような気さえしてくる。☔️

当たり前だけど、欠点のない人間なんていないよね。
いいところもあれば、だめなところもある。
完璧人間なんていない。
それはわかっているはずなのに、
だめなところ1つで良いところのすべてを無意味なものにしてしまったり。
というか、自分が欠点と思うことだって、
実際にそれが欠点かどうかは見る人によって違う。

そして、自分に対しては許せないのに
「いいところも悪いところもある他人」は許せる自分に気づいて。
たとえば、
家族、夫婦、恋人、友達、同僚。
誰しも、素敵なところがあるし、ちょっとだめなところもある。
だめなところも含めてその人の個性で、
彼(彼女)ってこんな感じの人だよね。で終わるだけの話。
もはや「だめ」って思ってすらない。
他人で、それがどうしても無理なところなら離れることもあるけれど、意外と近しいひとの短所って「そういうとこあるよね」くらいに思ってたりする。

それなのに
自分にだけは完璧を求めて
「好きか、嫌いか」「肯定できるか、できないか」をジャッジしてる。
好きとか嫌いとか、
肯定するとかしないとか、
そういう目線で見るから苦しい。
ただ、そういうもの。
自分という人間のかたち。
ただ、そうなっているもの。
受け入れる、とか思うとまた苦しいからしない。
(それも二極の話になる)
他人にするのと同じように
ただ、こんな感じのひと、って思う。
自分という人間の輪郭を知るだけ。🌿
「今」に感謝できない自分をやめる
理想の形、理想の姿、理想の関係性
色々あるけれど、それに縛られすぎないようにしないとな、と最近より思う💭
理想を持つことは大事だし、
理想や夢を持つことで未来は広がるって思うし、
そのための努力だって惜しまないでいたい。
過去、そうしたからこそ叶ったものもある。
で!も!
理想を求めることと、現実を拒否することは全く別なんだよね💡

理想を追いすぎて、理想がはっきりとありすぎて
それに及ばない現実を拒絶するのは違う。
「理想に及ばない、今」をちゃんと見つめないままでは
道が分断されて、いつまで経っても理想への道は敷かれないまま🪿
理想までの道は、
今の自分からまっすぐ続いてるはずのもの。
完璧主義な人ほど、理想を明確に描いている人ほど、
叶っていない現実を拒絶したり、否定したり、しちゃうけど
「理想と比べた、今」として見るのではなくて
「ただの、今」として見たい。

いま、目の前にあるものをまずはまっすぐ受け取って
喜んだり、感謝したり、じっくり味わいたい。
理想が叶っていない今に喜んだりしたら、理想になんて近づけない、って思わずに。
理想が叶っていない今、は決して空っぽなわけじゃない。

今あるものをちゃんと数えて、じっくり味わって過ごしていくから、
上にいろんなものが積み重なって、理想が叶っていくのだと思う🪄
この感覚、ずっと忘れちゃってたけど
すごくすごく大事だった🌳
もう忘れない。
魔法を信じること、幸せになること
読んでいた本に
あなたは魔法を信じていますか?
と書かれていて、びっくりした。
突拍子がなくてびっくりした、というよりは
最近同じようなことを言われたなあ、と思って。🪄
みなさん、願い事は叶うと、信じていますか?
時には、思い通りにいかないこともあるかもしれません。
でも、あきらめないで。
信じ続けて。
その心に、本当の魔法が宿るまで。
そう、これは、
ディズニーシーのショー Believe! ~Sea of Dreams の冒頭のナレーション!🪄
去年、数年ぶりにシーに行って、そこでこのショーを初めて見たんだけど
この冒頭のナレーションだけでグッときてしまって。笑
まだ開始数分なのに泣きそうに 😇

大人になる過程で、いろんなことに傷ついたり、ものすっっごい努力してそれでも報われなかった経験もしたし、挫折したりもして、そうやっていつの間にか忘れちゃった気持ちが…
あるな〜〜〜〜〜……って思っちゃったら止まらず 😇
(同じような気持ちになる大人は多いんじゃないかな…🥺)
本当の魔法が宿るまで。
ディズニーは「その夢が叶うまで」とは言わないんですね…
すごく奥行きのある言葉。
本当の魔法が宿るまで。

本当の魔法って、きっと「夢が叶うことそのもの」ではないのかも。
夢が叶うことも、その一つではあるかもしれないけれど🪴
「夢が叶う」って、ゴールみたいな言葉だけど、
物語みたいに「めでたし、めでたし」で終わるわけじゃない。
人生はそこからも続いていく🪄
夢が叶ったとして、その後の現実がちゃんとある。
王子様と結婚して…それから?
悪い魔女を倒して…それから?
自由を手にして…それから?
物語では「幸せに暮らしました」と締めくくられるけれど、きっと本当はいろんなことがあるんだろうな。
だって人生ってそういうもの!笑

でも、
「幸せに暮らしました」、なんだよね。
悲しいことや悔しいことが一切ない、
人生に浮き沈みがまったく起こらない、
そういう「幸せに暮らしました」ではないんだろうなって思って。
人間らしい、今世らしい人生の色々なこともぜーんぶひっくるめて「幸せに暮らしました」、って言えることこそ、本当の魔法🪄
勝手に私が深読みしてるだけかもしれないけど🙂↕️
でもそうだったらいいな。

「好き」の価値は自分だけが知っていればいい
夜、外に散歩がてらお買い物に出たら、空気が初夏っぽくなっていてびっくりした🌿
さらさらで、軽くて心地よい風。
気分が良くて、どこまででも歩いて行けちゃいそうな気分。
遠くの方で、カエルが大合唱している気配。
田んぼに水が入ったんだなあ、、
長かった冬が本当に終わったんだ、とやっと実感できた!
もう5月中旬なのにね笑
でもそれくらい、冬が長いから。
この街の春は、冬の名残りが強い。

葉からこぼれる光がキラキラで美しい🌿
歩いていると、ところどころでふわっとドウダンツツジの香りがして、思わず何度も立ち止まっちゃう。
子どもの頃、金木犀の香りでよく立ち止まっていたような気がする。
10歳で引っ越してきたこの街には、そもそも金木犀がなくて(氷点下10℃を下回ることもある街なので金木犀には向いていないらしい)、社会人になって都内で働いていた時はあまりにも忙しくて香りになんて気づく余裕がなかったし。
肺いっぱいに花の香りを吸い込んで、ああ、いい時間だな、って思える今がとても好き。

2年前に、パーソナルフィロソフィーを定めてから、幸せな瞬間に気づきやすくなった気がする。
パーソナルフィロソフィーについての投稿はこれ↓
10代後半から20代前半、すっごく苦しかった時期に、小さなことでも喜べるようにしよう、幸せのハードルを下げて、今すぐ幸せな自分で在ろう、って思ったことがあるんだけど、当時、結局ずっと苦しかったなーって、今は思う。
その理由が、今ならなんとなくわかる💡
そもそも本当に、ほんっとーーに自分の喜びが何かを、ちゃんと知ってる?っていうところ!
どんなことでも幸せ、はもちろん最高なんだけど、
他の何にも替えられない瞬間、大切なもの、
誰に理解されなくとも自分にとってはすごく価値のあること、を知っておくのは大事だね。
意識して、その部分を満たしていくのが心地良いな、って。

外を歩いて、四季の移ろいをじんわり実感できることとか。
その時々の花の香りを吸い込む瞬間とか。
青々とした葉から、光がこぼれてキラキラしているのとか。
そういう一瞬が日常にたくさんあるのが、私にはすごくいい感じ🌿
自分の気持ちに、見て見ぬふりをやめる
自分の気持ちを「聞いているふう」で過ごしていると、同じところをぐるぐるしてしまう気がする。
本当の、ほんとうの気持ち。
見て見ぬふりをしてるって、どこかでわかっているのにね!🙂↕️

本音や、本当の望みって、
案外ちっぽけで、どうでもいいようなことだったりする。
腹黒くて、人に言われたら引いちゃうようなことだったりもする。
だから、あんまり見たくない。知りたくない。
でも、それをわかっているのとわかっていないのでは、全然違う 📚

本当の気持ちなんて、誰にも言わなくていいし、口に出さなくていいんだよね。
どんなにくだらなくたって、腹黒くたって、小さくたって!
ただ、それが自分で、自分の本音で、本当の気持ちなんだって、知っているだけで。
いいとか悪いとか、許可するとかしないとかじゃなくて、ただ「そう」なの。
(こんなふうに考えてしまう自分が嫌、性格悪い、みたいなループに入るのをやめる)
自分にすらカッコつけ続けるのって苦しい。
聞こえのいい言葉で自分を納得させて、本当の気持ちを見て見ぬふりし続けるのはおしまい。

本当の気持ちを見ることができたら「じゃあどうする?どうしたい?」ってやっと聞ける。
上っ面の気持ちじゃないから、まっすぐに道が敷かれていく。
頭で考えて道を敷くのとは全く違う感じ。
その感覚がここ数年で腑に落ちつつあって、それが面白くて、
自分の本音がたまに痛いことも未だにあるけど、笑 やめられないのよね🌹
表面上の望みと、本当の望み
大好きな、大好きな芍薬の季節がやってきた 💐

つぼみがゆっくりと花ひらいていく、その移ろいを見ているのがとっても楽しい!
去年までのわたしは、
朝、仕事に行く前はつぼみだったのに、家に帰ってきたら満開になっている、ということが多くて。
本当は、ずっと眺めていたいのに、ゆっくりひらいていく様子を見逃したくないのに、って思ってた。
芍薬の花は、完全にひらいた姿よりも、ひらきかけの姿がいっとう美しいと思っているから、その過程を見られないことがちょっとだけ悔しかった。

今、家で仕事ができるようになったわたしは、
仕事用デスクの隣に花瓶を置いて、
ずっと、ずっと、視界の端で芍薬の花の変化を見ながら過ごすことができる。
知らなかった。
芍薬の花の香りがこんなにもみずみずしいこと。
そばにいると、時々、ふわっと微かに香ること。
思わず、顔を近づけて深呼吸しちゃう。何度も何度も!笑
(ライチのような、ローズのような、この不思議な香りに近い香水が欲しい〜💭)

いい匂い、綺麗、可愛い、美しいな、って思いながら過ごせることがとても幸せ。
知らなかったことを、知ることができて幸せ。
こんな日常を、去年までのわたしは心から望んでた。
わたしの「本当の望み」ってたぶん、こういうのばっかり。笑
仕事を変えたい、とか、家で働きたい、っていうのは表面上の望みで、
実は単なる手段で、
花がひらいていく様をずっと眺めていたい、が本当の望みだった。
別にどっちだっていいんだろうけど、
本当の、まっすぐな望みを知っている方が軽やかでいられる気がする。
苦しくない気がする。

自分の本当の望みって意外と、他人からしたらどうでもいいようなことなんだろうな〜!
でもそれでいい。
望みなんて、他人に評価されるようなものにしなくていい。
芍薬の時期もあとわずかだから、思い切り楽しんでおかなくちゃ。
いつか両手にいっぱいの芍薬の花に埋もれてみたい!💐
感覚派か、理論派か、ではなく、
今月の爪 🍓

秋冬のボルドーとは違う、ビビッドでフレッシュな朱赤。
エネルギーに満ちたカラーリングで、目に入るたび前向きな気持ちになる🌷
毎月、ネイルの色やデザインを考えるのが、すごく好き。
予約の日が近づくにつれて
「今の私はどんな気分だろう?」
「どんな色を纏って、どんな気持ちになりたいかな」
「どんな世界観を指先にのせていたい?」
って内側に向かって問いかけるのが楽しい。
これかな?それともこっち?
今の自分が本当に喜ぶのはどれ?
神経をぴんと張って、ひたすら自分の感覚を「感じる」。
これがすごくリフレッシュになってる🌿

ないがしろにしてきた、内側を「感じる」練習だな、とも思っていて。
頭で考えることではなく、感じること。
思考ではなくて、感覚をみること。
「感覚」「感じること」って、成長していくにつれてどんどん排除されていく気がする。
頑張れば頑張るほど、失われていっていた気がする。
だって、感じていたら苦しいから。
いちいち感じていたら、戦えないから。

論理的であること、
求める結果から逆算して計画立てて行動すること、
根拠があること、
そういうものが大事なんだと、わたしたちは身にしみてわかってる。
そうしなくちゃ望むものなんて手に入らない。
上手に生きるために、そうやってきた。
いちいち感じていたら戦えない。

そういうふうに思っていた自分に気づけてよかったな、と今は思う。
頑張ることが悪いのではなくて、
論理的であることや、根拠を求めることが悪いのではなくて。
計算で動くことが悪いのでもなくて。
感覚が「違う」と言っているのに、見てみぬふりをして突き進んでもロクな結果にはならなかったなー、そういえば。って。
(まあ、それさえもいい経験だったとは思うんだけど!)
逆に言えば、感覚が「良い」ときに発揮できた論理的思考や、行動力や頑張りは、必ずと言っていいほど素敵な経験になった。
今、これから感覚を大事にすることは、理論を重視していた過去の自分が否定されることではなく、
これからは、感覚からの在り方を大事にしていきたい、というただそれだけの話💭
理論派か、感覚派か、のどちらかではなく
感覚から理論立てていく在り方で 🌹