- 完璧主義
- 神経質
- 人と比較しがち
- 人の目をついつい気にしてしまう
- 自分に厳しい
- 劣等感を抱きやすい …etc.
意外だと思われるかもしれませんが、これは、わたしのことです。
こうした傾向に名前を付けるならば、いわく「自己肯定感が低い」ということになるのかなと思います。
そんな自分のことをずっと認められなくて。
自己肯定感をあげましょう、だめな自分もそのまま認めてあげましょう、って世の中の誰かは言うけれど、それができたらいいのにな、できないから苦しいんだけどな。って思い続けてきた。
でも、最近いろんなことを考えて考えて、考え抜いた末に、決めたんです。
自分を責めている自分、のことをまずは受け入れようって。
一度自分を責め始めると止まらなくなっちゃうんですが、
そうやって自分をやっつけてしまう自分のことが、本当に好きじゃなかった。
自分を責めてせめて、やっつけたある日。
泣きすぎて顔が痛いし頭は痛いし、鼻は熱くて炎症を起こして…
自分を痛めつけてばかりの自分に、もううんざりしてしまって。
なんでこんなに自分を責めているのか、ひたすら考えていったら、「自己肯定感が低い」という現象の仕組みに思い当たりました。
(これはわたしの場合なので、すべての方に当てはまるわけではないとは思うのですが、よければご参考までに。)
自己肯定感が低い、っていうのは
【ピュアな自分】と【厳しい自分】が共存している状態だと思うんです。
①【ピュアな自分】
↑ 攻撃⚡
②【責める自分】
なにかあれば(なにもなくとも)、自分に否定的な言葉を投げかけている【責める自分】が心のなかにいる状態。
なんでできないの?
他の人はもっと…
わたしなんかには無理
もっと頑張らないとだめに決まってる
…なんていうふうに。
♢
実は、
【責める自分】って、めちゃくちゃ自分のこと嫌いそうに見えて、たぶん、本当は【ピュアな自分】に期待してるんだと思います。
自分に期待しているからこそ、否定するような言葉をかけてしまう。
- 期待しすぎなくらい期待してるから、ちょっとの失敗で「なんてだめなやつなんだろう」ってひどく落胆してしまうし、
- 失敗の悲しみを味わわせたくないから「お前になんかできない」って言ったり、
- もっとできるって思っているからこそ「なんでそんなこともできないの」って言っちゃったりする
のかもしれないなって。
自分を傷つけて傷つけて、やっつけてしまう【責める自分】。
本当はそんなことしたくないのに。
こんな風に自分を嫌いな自分が嫌い、って、何度思ったかわかりません。
【責める自分】のことを、ずーっと許せなかったし、認められなかった。
だけど本当は、気づけていなかっただけで
【責める自分】ではなくて【自分に期待している自分】だった。
それに気づいて、
なんでそんなこというの!? 自分のこと嫌いになりたくないのに…!
なんていうふうに「【責める自分】を悪者にして、さらに自分を責めてしまう自分」の肩の力が少し抜けたのがわかりました。
【責める自分】をすこし、許すことができたんです。
(ほんのちょっとだけですけれど。笑)
世の中でよく言われている「ありのままの自分を認めましょう」とか「だめなところも受け入れよう」とか、それもまたその通りなんだと思います。
でも【責める自分】は、自分がダメだから責めているのではなくて、期待してるから責めているんですよね。
それは、同じようで全然違う。
そもそも、
ありのままの自分を認めましょう、というならば!
自分を責めてしまう自分のことを認める、は充分大きな一歩なんじゃないかと思うのです。💡
♢
とはいえ、
自分を責めてしまう自分を認めることだってそう簡単ではないですし、ちょっとずつ。ちょっとずつ。
今まで「自分をこんなに責めてしまう自分は最低だ」とか「なんでこんなに自分を傷つけるの!?」って思っていた時間に
「あ~~また自分に怒ってる、期待してたんだなあ」
「どんな理想があったにせよ、そんなに言わなくてもいいのにねえ」
って、すこしだけ違う言葉をかけてみる。
自己肯定感が低い、っていう言葉は、まるで悪いことのように聞こえたりするけれど。
ただ、自分のなかに【責める自分】=【自分に期待している自分】がいるだけ。
それだけなのだと思います。
自己肯定感を上げてゆきたい、と思うなら
自分を責めてしまう自分のことも、悪者にしないこと。
そうやって、自分をうまく乗りこなしていきたいな、って思っています。🌹